Vol.10【闘え、守山拉麺】 |
「ご当地らーめん」などなど、日本人はラーメンがお好きです。さらに、「ラーメン」が美味しくて有名になったまちや、それがまちの活性化に繋がったという事例もあります。
さて、「守山」もラーメン店の群雄割拠状態です。つい先日、出会ってしまったラーメン店が「塩元帥」さん。場所は守山市水保町。毎週月曜日、小生、こう見えて京都精華大学の1回生の授業を担当している「特命教授」なのですが、琵琶湖大橋から京都へ抜ける所謂「山越え」で大学に向おうとした際、午前11時というランチタイムには少し早い時間帯に見えてきたお店だったので、食してみよう、と入店。車が到着したのを見計らって、社員さんがお出迎え。「いらっしゃいませ!」と元気のいい掛け声も、マニュアルっぽくなく、好印象でした。
さてさて、肝心のお味は、というと・・・美味し!!!コクのある塩味に加え、チャーシューにチャーハンもいい風味でございました。
勝部にある「麺や結」さん、水保にある「豚人」、もはや全国区「来来亭」、そして最近復活を遂げた「和楽亭」。守山も「ラーメン」で有名なまちになるのでは!?
※今月で「ええやん 守山」最終回になりました。偏った趣味の内容であったかもしれませんが、ご愛読いただき誠にありがとうございました。
|
Vol.9【お茶しましょ。】 |
「喫茶店」という言葉が、いつの間にやら「カフェ」になった今。わがまち=ザ・ガーデンシティー守山にもあります。美味し楽しい時間を過ごせる「カフェ。」
まずは、滋賀ではすっかり有名になっている「SPOON」。小生もこの会社の社長とは仲が良く、たま〜に食事やら経営の相談事やら。。。全国にも「ムレスナティー」を発信され、日本における紅茶文化の浸透・周知に努められています。おすすめは、紅茶はもちろんのこと、その茶葉を活かした「ムレスナカレー」。美味すぎます。
お次は、そのSPOONでスタッフとして働いておられ、そこから独立された「Rustic(ラスティック)」。最初は成人病センターの近くのテナントからスタートし、守山銀座通り商店街へ移転。今は業務拡張のため、守山駅東口の浮気町にお店を構えられています。おすすめは自家製の「サブレ」。贈り物にも最適です。定期的に「よくばりな休日」と題し、各地の美味しいものやおしゃれな雑貨店が出店するマルシェを開催されています。
そして、守山市今宿町の住宅関連雑貨店の「ノリアキ工房」内に併設されている「Cafe je jardin(カフェ・デ・ジャルダン)」。ノリアキ工房さんが設計されたガーデンを眺めながら、食器や食材にもこだわった大人のカフェです。緑に囲まれ、守山にありながら、何となく海外に来た気分にもなります。
以上、「カフェ男子」でした!
|
Vol.8【平和の広場】 |
昨日の「滋賀はひとつ」第44回滋賀ブロック大会守山大会。長期間に亘る準備、設営、そして本番当日。さらには翌日の後片付けに清掃、本当におつかれさまでした。F実行委員長も少しホッとしたのでは!?
さて、その懇親会会場となった守山市民運動公園内の「平和の広場」について。毎年8月に「平和を誓うつどい」が催されています。今年も広島に原爆が投下された8月6日に開かれ、市民や遺族関係者ら約300人が参加し、恒久平和の実現に向け心を新たにし、同日8時15分(広島に原爆が投下された時間)に合わせて参加者全員で黙祷を捧げられました。
この守山市でも、1945年7月30日に守山駅を発車した列車が空襲され、多数の死者やけが人が出たという事実があります。真の「平和」実現に向けて。できることから少しずつ。ですね。
|
Vol.7【「由来」について考える。】 |
2012年7月21日に、開館した守山中心市街地活性化交流プラザ「あまが池プラザ」。「世代を超えたふれあい活動」「文化・芸術の振興」「高齢者の健康維持」「にぎわい創出」の4本柱を目的に、子どもから高齢者まで幅広い世代が共生できるまちを目指し、中心市街地活性化を推進し、守山のまちづくりに寄与しているこの施設。カフェ・レストランも併設され、セミナーや会議・講座に利用される貸しスペースも、予約開始時すぐに満杯になる時期もあるとか。
ただ、守山市民の人にも、もちろん市外の人からも聞かれます。「『あまが池』って?」
日本書紀によると、今から1300年ほど昔の持統天皇七年(693年)に近江国益須(やす)郡の都賀山(つがやま)で醴泉(れいせん:味の良い泉)が出たと記されています。翌年、『醴泉、益須郡の都賀山に湧く』との詔書が出されると、多くの病人が治療のために益須寺(やすでら)を訪れました。すると多くの病気が治ったため、この寺では朝廷の税を免除されるなど優遇されました。
しかし益須寺は、現在廃寺になっており、吉身6丁目一帯にその跡が推定されています。そして、このあまが池(甘香池)は、醴泉の推定地のひとつという歴史的背景があるのです。
普段何気なく過ごしているまちや施設にも歴史あり。由来って、おもしろいですね。
|
Vol.6【健康とは、この手で掴むものなり。】 |
「朝活」という言葉を、最近よく耳にします。普段より早起きして、通勤前の時間を有効に使うこと。特に、朝から走る!っていう方もおられるのでは。また、サントリーの次期社長に就任される新浪剛史ローソン会長など、トップビジネスパーソンは出勤前の朝の時間を活用し、ランニングをされている方が多いそうです。小生もそれを真似て、毎週土曜日ですが・・・朝早く起きて走っています。そう、この公園を。守山市焔魔堂公園。
子どもから高齢者まで、だれもがいつでも気軽に訪れ、親しむことができる公園として、2011年11月に完成しました。園内には、幼児用と児童用の複合系遊具が有り、子供たちには大人気。そのほか、健康遊具やジョギングコース、小高い丘、グランドゴルフコースなどが有り、日々の健康作りなど人それぞれの楽しみ方で利用できます。
その「小高い丘」まで走り、頂上から市内を眺めるのが日課になってきました。毎週土曜。ときどき日曜ですが・・・。休日の昼間には、たくさんの家族連れで賑わっています。近くに過ごしやすい快適な公園があること。これも「住みよいまち 守山」と言われる一つの所以でしょうね。
|
|
|
Vol.5【やはり「ほたるのまち 守山」でしょう!】 |
市街地で「ほたる」を鑑賞できる街・・・守山市といえば「ほたる」が全国的に有名になってきました。そして、当青年会議所も企画・運営に協力させていただいた「守山ほたるパーク&ウォーク」も今年で11回目を迎え、5月30日〜6月8日に開催されました。期間中、各地でほたるに纏わるイベントが開催されていましたが、特に「音楽」に関するものが毎年多く催されています。
あまが池や東門院での「まちなかたそがれ音楽祭」や今宿自治会さんが中心となって盛り上げられた「夢灯」IN樹下神社でのライブ、西藤小児科さんでのロビーコンサートに「もりの風こども園」でのほたるコンサート等々。各イベントは親子連れで連日盛り上がっていました。
家族でほたるを楽しめる街。幻想的な灯りが、これからも美しくこの街を照らし続けることでしょう。
|
|
|
Vol.4【「バラ」が守山の地域資源!?】 |
5月11日(日)は「母の日」でしたね。みなさんはどんなプレゼントをされましたか?小生は私の母と妻の母に毎年決まって贈る、とっておきのものがあります。それは・・・「和バラ」です。
みなさんがイメージされる「バラ」とは違います。繊細な花弁が重なり合う美しいディティールが特徴です。私が惹きこまれてしまった要因は、この美しい「姿」はもちろんのこと、品種の「名前」が全て「和」をイメージした日本らしいネーミングです。
例えば、「てまり」「友禅」「美咲」・・・などなど。バラといえば棘があり、どこか尖った印象がありますが、日本人の特徴である「奥ゆかしさ」を表現した柔らかい印象は、あたりの雰囲気を一瞬で変えてしまう存在感もあります。
この「和バラ」は、ローズファームケイジのオリジナル品種。代表でもあり、ばら作家としても活躍する國枝啓司さんが、ヨーロッパの育種技術を元に30年掛けて作り上げました。かつて、雅子妃殿下がご成婚前に直々にお選びになったことでも知られており、この“和ばら”を求めて全国各地から多くのファンが訪れます。
また、この「和バラ」は滋賀県守山市の地域資源として国の認定を受けているのも特徴です。凛とした佇まいと溢れる美しさを有する「和バラ」が、守山市から全国へ、そして世界へ発信されています。
|
|
|
Vol.3【「安産」祈願】 |
4月も中旬。すでに守山市内の桜のシーズンは終わりを告げましたが、「春」といえば新たな出会いが「誕生」する季節でもあります。
そこで、今回ご紹介するのは、今宿町の樹下神社内にある「安産石」。
「安産石」の由来ですが、かの菅原道真公が大宰府へ左遷され、一家離散となって信濃に落延びる道中、身重の息女が樹下神社で産気づき、里人の手厚い看護にもかかわらず無念な最後となりました。その臨終にあたって里人の厚い情に報いるためにと、女人の安産をこの平石に強く祈願したと言われ、妊婦がこの石に願をかけ平石の下の砂を肌身につければ、安産は間違いない、と古くから語り伝えられています。
小生も妻の第一子妊娠の際には、この「安産石」に手を置き祈願し、安産石の下の砂を入れた「御砂守(おすなまも)り」も頂戴しました。そして、安産。今年の正月には長男と一緒にお礼に訪れました。この樹下神社のある「中山道」も歴史の溢れる街道です。赤ちゃんや小さな子どもの手を引いてこの街道をそぞろ歩く家族連れが増えると街の活性化にも繋がりますね。
|
|
|
Vol.2【幕末の志士】 |
男なら「坂本龍馬」に憧れる人も多いはず。幕末動乱の同時代に言わばその「敵方」として活躍した「新選組」ファンもこれまた多し。さらに「新選組」といえば「池田屋事件」も有名ですよね。その「池田屋事件」の影のキーマンが滋賀県守山市出身だったというのはご存知ですか?その名は「古高俊太郎」。そう、守山市古高町(旧:近江国栗太郡古高村)生まれです。古高俊太郎は、幕末京都河原町で「桝屋喜右衛門」を名乗り、長州藩の間者として情報活動と武器調達にあたっていました。しかし元治元年6月8日(1864年7月8日)新選組に踏み込まれて逮捕され、壬生屯所の前川邸で新選組の副長・土方歳三から拷問を受けました。それにより「京を追われた長州藩が御所に火を放ち、佐幕派の公家を幽閉し、大名を殺害し、天皇を長州へ連れ去る。」という計画が暴露され、ここから池田屋事件が起こりました。その後、古高俊太郎は六角獄舎に収容されましたが、7月20日(7月21日)に禁門の変によって大火が起こり、火災に乗じて逃亡することを恐れた役人によって斬首されました。享年36歳。
私たちと同世代が、日本のためにそれぞれの信念を持って命がけで行動していた事実。果たして私たちは何かに対してそれだけの「覚悟」をしているでしょうか・・・。守山市二町町の中山道沿いに「古高俊太郎先生 生誕地」と記された石碑が立っています。通称「俊太郎道」。そしてその近くの「福寿院」には顕彰碑もあります。ふとした所に、歴史は存在します。一度訪問されてみてはいかがでしょうか?
|
|
|
Vol.1【宝】 |
滋賀には「近江水の宝64選」というものがあります。これは滋賀県教育委員会が琵琶湖とその周辺の水に関する文化資産を滋賀県独自の特性ある資産として位置づけ、これらのうち特に優れたものを「近江水の宝」に選定して地域の資産として価値の定着化を図っていこうとしているものです。寺院の数において滋賀県は人口比率で日本一多いと言われる中で、64の宝のひとつに選定されたお寺が実は守山にあります。それが吉身旧中山道沿いにある帆柱観音の名で知られる慈眼寺(じげんじ)です。慈眼寺の縁起によると帆柱観音は天台宗開祖の最澄の自作と伝えられています。唐から帰国の際、海上で嵐に遭い、船の帆柱も折れ今にも沈むかという時、最澄が十一面観音に祈りを捧げると無事に難を逃れられた事から、帰国後航海安全の結縁(仏法と縁を結ぶこと)として折れた帆柱で十一面観音を刻み、帆柱観音を名づけ小堂を建立し、慈眼寺としたと伝えられています。現在の慈眼寺は倒壊の危機に際し、守山市民を中心に募金が寄せられ新しく改築されました。中には木造薬師如来坐像(守山市指定文化財)、そして秘仏とされる十一面観音があり、航海安全に御利益がある仏様として信仰されている帆柱観音・慈眼寺を中山道の散策をしながら、ぜひ訪れてみてください。
|